ゲリラ兵
2009年 08月 13日
1979年
当時の独裁政権ソモサ大統領に対して、
現政権でもある、サンディニスタ民族解放戦線が
中心となり、革命をおこした。
その後、約10年間にわたり、
サンディニスタ政権と、アメリカが支援する旧ソモサ軍との
内戦が続いた。
特に、任地マタガルパを含む北部ホンジュラス側との
山岳部における争いが続いた。
だから、
今でもマタガルパの町には当時、武器を持って戦った人や
家族が犠牲になった人がたくさんいます。
この方もそのうちの一人。
当時15歳で
「おれは銃を持って、戦ったんだ。」と。
日本では語られることの少なくなった戦争ということに対して、
色んな話が聞いてみたかった。
でも、なかなか何を聞いて良いのか思い浮かばない。
でも、とりあえず、
そんな過去を持って、今に至るんだと。
テレビからは事故現場の生生しい人の映像が流れたり、
亡くなった人をそのまま映していたり、
なんだか、死が身近にあるように思います。
だからこそ、今を生きることに精一杯になるのかもしれません。
この方。今は働くかたわら、日曜日に中・高一貫校に通って、
卒業資格をとるために勉強しています。
内戦で学校に通えなかったのだと。
土曜日に娘に手伝ってもらいながら、宿題をしていました。
当時の独裁政権ソモサ大統領に対して、
現政権でもある、サンディニスタ民族解放戦線が
中心となり、革命をおこした。
その後、約10年間にわたり、
サンディニスタ政権と、アメリカが支援する旧ソモサ軍との
内戦が続いた。
特に、任地マタガルパを含む北部ホンジュラス側との
山岳部における争いが続いた。
だから、
今でもマタガルパの町には当時、武器を持って戦った人や
家族が犠牲になった人がたくさんいます。
この方もそのうちの一人。
当時15歳で
「おれは銃を持って、戦ったんだ。」と。
日本では語られることの少なくなった戦争ということに対して、
色んな話が聞いてみたかった。
でも、なかなか何を聞いて良いのか思い浮かばない。
でも、とりあえず、
そんな過去を持って、今に至るんだと。
テレビからは事故現場の生生しい人の映像が流れたり、
亡くなった人をそのまま映していたり、
なんだか、死が身近にあるように思います。
だからこそ、今を生きることに精一杯になるのかもしれません。
この方。今は働くかたわら、日曜日に中・高一貫校に通って、
卒業資格をとるために勉強しています。
内戦で学校に通えなかったのだと。
土曜日に娘に手伝ってもらいながら、宿題をしていました。
by a-ri-sen
| 2009-08-13 08:35